よくこの頃の日本画は、絵具を厚く塗り重ねてあって工芸的だと言われる。
戦後、西洋の美術、世界の新しい美術の動きがハツラツとした人間讃歌―進歩、平和、自由の喜びの香りを一杯にたたえて敗戦の日本に流れ込んで来ると、日本人の目には明治以後再興してきた日本画は、いかにも弱々しく、現実感に乏しく、衰微した、美意識の古くさいものに見えた。そうした中で、日本画は二流、三流の芸術だという声も間かれた。
その頃、「宗達とマチス」展が博物館で開かれ、そこで見た宗達派の表現、古い仏画や絵巻等々のすばらしさは日本美術への誇りを、学生である僕の心に根づかせてくれた。「沢山スケッチをしてよく物を見る目を養い、それを頭の中へ入れて、スケッチはすべて忘れて画面に向かいなさい」という先生の言葉は、日本画のその辺の奥義を思わせるものであった。
日本画の新生への模索として、絵具の厚塗り、線を太くしたり、画面をひっかいたり、和紙では手ごたえが弱いと麻布等に描いたり、なかには、筆を捨てパレットナイフで描く人さえいた。油絵の効果に負けない岩絵具の効果の追求ということでは粗いザラザラの岩絵具を重ねて壁画のような表現へと向かった。若い十代後半の僕も、そ.んな絵をパイオニアの思いで描きまくった。
だが一千年以上も持ちこたえるといわれる和紙に描く仕事とはいえ、岩絵具を厚く重ねる膠面の描き方には物理的に無理があり、日本画の材料を本当に生かす表現ではないと思うようになった。日本画の色彩はあまり重ねると発色効果がにぶくなり、一筆一筆に心の通った生きた線と紙との接点が見当らなくなってしまう。絵具も心の動きのままに描いていては厚塗りでは無駄が多過ぎるので下書きの通りに引きうつすことに終始する傾向が強まる。緊張した表現や清澄な画域、上品な画品というのも、下画下書きを重ねて、それを引きうつした、とり澄ましてこわばった表現がさせるのであって、あの宗達・雪舟その他沢山の過去の優れた作品の持つ自由で闊達な線、のびやかな豊かな線が消え失せてしまう。
このことは今日の日本画を少しでも見ている人なら誰でも感じることと思う。その内容の豊かさ、観察の深さも昔の絵よりひどく浅いのに気づくだろう。
戦後の日本画の厚塗りには、そもそもが積極的な開拓の姿勢が含まれていた。
桃山の宗達・光琳等々の屏風画や金箔の襖画にも多少の厚塗りはあるが、装飾画としての平面的な構図や用途に合わせた表現であって、やはり優れた作品では宗達も光琳も線描の上に色を重ねず、線を大事に残している。宗達の墨画等を見ると非凡なデッサン力と強靱で深い自然を見る目に驚かされる。変転極まりない色よりもむしろ線を骨とし線に心を託する伝統が流れとしてある。
ここで下画のことを記すと、日本画は大画面に描く時は勿論だが中・小の作品を描く時も下書きの画を沢山描き、パステルや種々の用具で色を加えて画稿を練り上げる。そしてそれを拡大し正式に描く画面と同じ大きさの下画を描いて形や輪郭を定め、それを画面の上に置いて写すので下図と同じ配置の形が「ぬりえ」の線のように描かれる。木炭等で写された形の上を墨線でなぞって、色を重ねて仕上げるのである。
ここには、余分な線、形の狂い等何もないが、生き生きと息づくような、心の表情まで伝わるような線や色彩が現われるはずもないし、練り上げた形の配置、色配りが残るだけである。この手続きも日本画の決定的に大切な要素を欠落させる条件を作っている。それをよしとして描く画家の心の問題がもう一つ大きな理由として潜んでいるのだが。
今日の日本画に必要なものは、画面の強さや構図の整理ではなく、細い切れ切れの線であろうが、太い強い線であろうが、強烈な色であろうが、弱々しい薄色であろうが、それを描かせる中味の豊かさ、表現の深さ、今日を見・感じる目、心が描こうとする事物への切実な思いが、まず大切なのだ。
だんだん上澄の薄さになっていく日本画の今日の状態を見るにつけ、内容のバイタリティ、生活感、庶民性、まるごと人間を表現する姿勢が何としても必要だと考えている。
この頃、水墨画も盛んになって来たようで、あちらこちちで団体展や個展、グループ展などが催されている。
水墨画こそは、線の生きる、線の動きが書道のそれのようによくわかるもので、画家の心のままが跡として判然と残るところに良さがあり魅力があると心得るのだが、団体展等で見る水墨画はほとんど線が生きていない。淡彩を重ね、線は輪郭をなぞったように勢いを止め、まるで生気のない作品が多過ぎるように思う。他方では、毛筆の技法の駆使とやらでパタパタと筆ばかりが走って心が留守の作品も習い事のように流行っている。息をひそめ自然のすばらしさに感動する心が筆を動かすのではなく、描く技法が先立っているのだから、これでは創造するということとは何の縁もない仕事である。そういう作品群の中で勿論優れた作品もあるが、本当に少しである。
その点では毛筆を使う膠画、水墨画も線の重視が足りない。どうしたことか。
これは画の勉強が、石膏デッサン等立体感、量感を面によって見、表わすことが主で伝統的な線の持つ特徴やその大切さを知るまでに至らずにいるゆえではないだろうか。ピカツやマチスの線の方がより意志的であり、物の実体に迫り、躍動的であったりする。
実際、毛筆に墨だけで描いて見ると、その表情は無限に多様であり、紙に浸み込む強さが墨への依頼感を増して、色を加えることを拒否したくなる。
室町時代のあの雪舟をも「こんな世に生まれ合せて…」と嘆かせたように、いつの世も創り出すものにはきびしい冷たい雨風が吹きつけているようで何とも苦々しく腹立たしいが、今は「核弾頭」などというものの存在で人類が滅びそうな世になっているのだから、過去のどの時代よりも人間の英知と勇気が試される緊迫したどえらい時代に生ぎている。
そんな時代だというのに悠長(?)にも猛暑のこの八月に、若い二人の恋人達を描いた。休みの日に海辺にやって来た二人だが、描いてみると、どうしても辺りの自然が暗く、汚染された浜辺になってしまうし、人物もロマンチックな表情とは別のものが現われてきて、さらに新しく、もう一枚同じ題材で描いたが、こんどは多少、働く年若い今日の若者に感じるものが現われたように思えた。だが、描いているうちにトマホーク反対の行動がくり展げられた頃の海辺の実感が重なってきて、途中で、これも重要なテーマであると気づき、それでよいのだと筆を置いた。
自分の思いにつれてぐんぐん描くのは楽しいし、緊張もするが、いささか異端的な様相を加えてくる。あまり見てくれる人を意識すると、とり澄ましてよそよそしくなる。今は、至らぬ自分は多少異端的でも、それでよいと思っている。
骨董屋をあさる外国人のように東洋古物の面白さで日本の伝統を見る等は創造に結びつかないことだ。趣味でではなく、今日を描き、今日の美術を創造するために伝統を知ろうとするのでなくてはなるまい。
自分の目で見、自分の頭で考えることに弱く、権威に付くことに安心感を持つ傾向の強い-個性の確立に弱い日本人が、内面の追求、今日を見る目の確立に直結する表現をいい加減にして、価値の多様化、良いものの解体を叫ぶことは、まるで個々人をバラバラにして大権威の網の中へまるめとられてしまうように思われる。日本画壇の権威はその内実とは別に安泰に見え、それに続く若い画家が跡をたたない。
時の流れに乗ることを今日的と思い、作られた権威に乗って高名となった大家がその死後、時を経て空虚な作品を世に残している事実を沢山見るではないか。
今日の日本画のにぎわいは、決して隆盛などと言えるものではない。画作りと技巧で厚化粧した工芸品であるように思える。工芸品でも優れたものには内にこもるきびしい思想がある。だから工芸品というのも適切でないかも知れない。
そういったものとの闘いを心で続けて、いつの間にか三十幾年が過ぎた。
尊敬する先生方、先輩の方々、友人達、拙作を励まして下さる方々の導きで今日まできたが、努力が足りなかったのか成果はまだまだ現われない。
ぎびしかった五十歳までの峠を越したからには、これからしばらくは次の峠に向かって、気持だけでも、せめて闘達に制作を続けていくぞと思っている。
自分との闘い、作品との戦い、生活との戦い、…闘いだらけだけれど。
(おかもとひろし・1980年頃)