一冊の写真集がある。1944年、ポーランド、午後らしい影、乾いた日差しの中に立ちつくしているー群れの子供、母親、老人、国と人種、更に、50年前という年月のへだたりのある、写された人々の何を想っているのだろう、わかろう筈のないその窪んだ眼窩から、まっすぐに私の目へとつながる一本の線を感じる。
油彩画という手に触れることのできる素材を使って、手に触れることのできないものをキャンバスという平面の上に表してみようと塗りたくってみる。その人々のマナザシは当然ながら、なんの回答も与えてくれず、シャッターを切られた1944年の時間のままそこにあり続ける。―1943年に記されたフランスのあるひとつの詩をよんでみる。
死んだ人々は、還ってこない以上
生き残った人々は、何が判ればいい?
死んだ人々には、慨く術もない以上
生き残った人々は、誰のこと何を慨いたらいい?
死んだ人々は、もはや黙って居られぬ以上
生き残った人々は、沈黙を守るべきなのか?
問いかけは、果てもなく続くのであろうか
1996年8月
作品:「まなざし」 F180